できる亜子ちゃん できない亜子ちゃん










 選択肢がある問題ほど、簡単なものは無いと思う。あまり勉強してなくても、適当に書けば結構当たるし、何より深く考えなくていい。

 ま、当たらないときはひたすら当たらないんだけど。



 今は、夏休み前の考査中。

 一学期の成績がこれで決まると思うと、皆ちょっとピリピリしている。ノートとにらめっこしたり、ぶつぶつと呟いたり。教室を重い空気が覆っているみたいだ。

 そういう僕は人並みの勉強しかしない。完全に暗記する訳ではないけれど、語群のある問題は記憶を辿りながらさらりと出来る程度にノートを見る。

 次のテストは英語。基礎単語がかなり並ぶらしく、語群を設けてくれるらしい。

 というわけで、僕も形式的にノートに書き写した単語を眺める。

「伽依くん、伽依くん」

 ようやく3ページ目に目を動かした頃、後ろから能天気な声で名前を呼ばれた。

 やる気になった時に限って、邪魔が入るのは何故だろう。

 鬱陶しいなあ、なんて思いながら振り返ると、これまた能天気そうな―つまりは馬鹿っぽい顔が僕を見つめていた。

「何かな、亜子ちゃん」

 亜子ちゃんはえへへ、と笑って、英語の範囲がわかんないの、と今更な事を言ってのけた。

「教科書の、54ページから93ページまでの単語、が全部」

「単語かー…。伽依くん分かる?勉強した?」

「人並み」

「人並みってどれくらいなんだろ。今からでも間に合うかな?」

 無理でしょ。つっけんどんな言葉を言いそうになって、慌てて飲み込んだ。

「頑張ったら大丈夫だよ。選択肢だし」

 亜子ちゃんはありがと、とにっこり笑って自分の席に戻っていった。

 その笑顔が可愛くて、胸の奥がきゅうんと締め付けられる様な感覚に陥る。

 やっぱり、僕は亜子ちゃんが好きなんだなって再確認。



 彼女は僕の彼女だ。昨年の春休みに告白されて、それからダラダラと付き合って、只今二年目に突入中。

 付き合い始めた頃は、亜子ちゃんは自慢の彼女だった。

 可愛いし、性格はいいし、明るい。一緒に居て、ぽやーってなってしまう。これが兄ちゃんの言う癒し系なのかな、とか思ったり。

 だけど、今は何だか亜子ちゃんと居るのが面倒で仕方が無い。前みたいに遊んでばっかり居られないのを、亜子ちゃんも知ってる筈なのに、まだ余裕ぶってる。

 一緒に居たら、僕もぽやーっとしてしまいそうで、怖い。

「勉強しよ…」

 考え込むのはよそう。今の僕の問題はテストのこの膨大な単語の山だ。





 テスト中、少しだけ二つ向こうの席に座った亜子ちゃんを横見してみた。

 机に突っ伏して眠っていた。
 まだ、始まって20分も経っていない頃である。

 やっぱり、亜子ちゃんは馬鹿だった。





「おーわった…」

「どうだった、伽依くん」

 テストが終わって、数秒も経たないうちに亜子ちゃんは僕の元に来た。しかも、満面の笑みで。

「まぁまぁかな。人並み」

「人並みってどれぐらい?」

「平均点ぐらい」

「ふーん」

 僕の話なんて如何でも良さそうだった。

「あのね、伽依くん」

「ん」

「ね、分かんない?なんで亜子が問題用紙持ってるかとか聞かないの?」

 それは、つまり聞いてほしいって事ですね。

 今日のテストは今ので終わりだけれど、まだ明日もテストはある。これ以上亜子ちゃんと話す気は無い。

 無いのだけれど。

「なんで、問題用紙持ってるの?」

 つい、亜子ちゃんの話を聞いてあげたくなってしまう。

 亜子ちゃんはよくぞ聞いてくれました、と変な言い回しをした。それから、問題用紙をどんと机の上に置いた。

「ここ、」

 亜子ちゃんの指差す所を見る。

 何の変哲もない、ただの問題だ。問題にされている文章の隣にカタカナで選択肢が書いてあるのは亜子ちゃんが確認用に自分で書いたものだろう。

 これが何だろう。ほんとうにただの問題だ。

「この問題からこの問題までの選択肢、よく見た?」

「見てない」

「見てないの?ダメじゃん、見直ししなくちゃ」

 そうは言われても、選択肢を間違える様なミスはしていない筈だ。僕はあまり、見直しが好きじゃない。

「あのね、ここの答え順番に読んだら」



アコトカイ


 アコとカイ。亜子と伽依。

「ね?」

 あぁ、なるほど。

 亜子ちゃんの笑顔の理由がようやく分かって、ちょっと安心した。

 問題の中で自分の名前と僕の名前が出ているのが嬉しかったんだろうな。

 亜子ちゃんの行動はいつもイラつくけれど、今回のはちょっと可愛いと思った。やっぱり僕も自分の名前が合った事が嬉しかったんだろうか。



 はて?


 少し、可笑しい気がする。

 もし亜子ちゃんの答えが正しいなら僕は物凄い間違いを犯して居る事になる。

 人並みな点数は取れていないだろう。もし、亜子ちゃんの答えが正しいのであれば、の話だけれど。

「どうしたの?伽依くん」

 問題用紙をよく見る。亜子ちゃんの書いた答えを無視して、その部分を独りでもう一度解いてみる。

 あぁ…

 亜子ちゃんはやっぱり馬鹿だった。




アイトコカ



「多分、正解はこれだよ」

 惜しいと言えないことも無い。5問中2問正解だし、亜子ちゃんとしてはいい方だ。

 けれど、亜子ちゃんはテストの点数なんて如何でもいいらしくて、僕をじとーっとにらんでいた。

「…何、亜子ちゃん」

「伽依くんのイジワル」

 そんな事言われても、事実は事実なのだ。

 亜子ちゃんはぷーっと頬を膨らませてる。亜子ちゃんは拗ねると後が怖い。謝る義理は無くても、謝るしかない。

 けれど、僕が何度謝っても、亜子ちゃんは頬を膨らませたままで許してくれない。



 ああ、何だか面倒になってきた。


「伽依くん、亜子怒ってないよ」

 怒ってるじゃないか。

 そう思って、亜子ちゃんを見上げると頬は既にしぼんでいた。口は相変わらず尖らせたままだけれど。

「だって亜子が馬鹿なんだもん」

「うん」

「勉強できないし、馬鹿って言われても傷つかないよ」

 それはどうだろう。

「だけど、伽依くんが最近冷たいから、亜子は怒ってるんだよ」

「…やっぱり怒ってるんじゃないか」

 亜子ちゃんは首を傾げた。自分で矛盾していることにも気付いていない。

「伽依くん亜子のこと好き?」

「好きだよ」

「どれぐらい?」

 いつだか、兄ちゃんに言われた気がする。

 彼女は自分の事をどれぐらい好きかをすぐに訊ねるから気をつけろって。

 確かに今、僕はどうしようもない状態に陥っている。亜子ちゃんの百と僕の百が違ったら、指し示す大きさが違うだけで怒られそうだ。

 亜子ちゃんはじーっと俺を見ている。

「えーっと、」

 人並み。

 最近僕がよく使う言葉。

 今、一番言っちゃいけない言葉だな、と思うと他の言葉が浮かんでこなくなった。

 何故か其処で、ふとさっき自分で書いた答えをちらっと見た。

 あんまり綺麗じゃない字でアイトコカと書かれた問題用紙。なんだっけ、兄ちゃんがこんなこと言ってた気がする。



 あ。


 僕はそのカタカナ五文字の下に文字を書いた。

「愛を説こうか、」

 …なんちゃって。兄ちゃんが歌ってた歌詞を思い出して、それを真似してみた。

 亜子ちゃんがそれを見て、どういう意味?と訊ねてくる。

「…知らない」

 説くってどういう意味だっけ。

「まあ、いいや。許してあげる」

 亜子ちゃんの質問の答えにはなっていない。けれど、亜子ちゃんは満足してくれたらしいので、助かった、と僕は胸を撫で下ろした。

「伽依くん」

「…何?」

「ちょっと目瞑って。お仕置きするから」

 僕は一歩後ずさった。亜子ちゃんの目はマジだった。

 殴られるんだろうか。僕は恐る恐る目を閉じて、次に来る衝撃を待ち構えた。けれど、僕の予想とは大違いだった。



 ちゅ。


 柔らかい何かが唇に触れた。

 目を開けたら、亜子ちゃんのキラキラした瞳が見えた。

「…え?」

 今のは、もしかして。

「え、亜子ちゃん」

「…さ!伽依くん帰ろう」

 亜子ちゃんは僕が訊ねようとしているのを跳ね除けるように先に歩き始める。

 早歩きで往く亜子ちゃんを追いかける。後ろから見えた亜子ちゃんの人よりもちょっと大きな耳は真っ赤だった。

 そして、やっぱり、僕は亜子ちゃんが大がつくぐらい好きなんだなって再確認。



 亜子ちゃんは馬鹿だけど、そんな亜子ちゃんが大好きな僕もやっぱり馬鹿なのかな、と今更に思った。

「亜子ちゃん、」

 後ろから手を握る。

「夏休み一緒に勉強しよっか」

 とりあえず、今は勉強嫌いの亜子ちゃんにどうやって勉強をさせようかが大切だと思う。

 来年もその来年も、そのまた先も一緒に居るために少なくとも勉強は必要だし。せめて人並みはほしいところだ。



 亜子ちゃんと手を繋ぐのは去年の夏祭り以来だった。

 気が付けばもう夏休みは目前だ。
















(勉強ができなくても恋愛はできる亜子ちゃんが羨ましい)
















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…いつ書いたか分からない。