携帯電話のプッシュ音は煩くて、苛々する。あの甲高い電子音で脳を思い切り叩いて来る様な―
 他の人とは違う、彼女だけに設定された着信音が更に苛立ちを募らせる。
「♪」
 また、同じ相手からのメール。
 何時もなら面倒がってゆるゆると携帯を弄り出すのに、彼女はこの着信音が鳴るとそれはもう、速い。長い着信音が切れる前に携帯を開く。そして返事を打つ。
「♪」
 そして、また。
 何でも無い雑談の途中とは言え、話を切ってメールを打たれるとかなり苛つくのは私だけでは無い筈だ。
「鵜野(うの)サンさぁ」
 私は敢えて少し馬鹿にした口調で隣に座った鵜野の名を呼んだ。
 鵜野はジャラジャラと装飾された携帯から目を逸らす事無く、返事をしてきた。
「ん、何」
「誰とメールしてんの?」
 分かりきった事を聞いてみた。鵜野はぶっきらぼうに、柊だよ、と答えた。
 ああ、やっぱりね、と。それ以外に誰とメールすると言うのだ。面倒臭がりの鵜野が。

 柊―名字は中山。その中山柊と言うのは察しの通り、鵜野恋花の恋人である。部活の後輩だった中山からの告白で、鵜野達は二週間程付き合っている。
 鵜野も満更ではないようで、中山からのメールは先程の様に素早い返事をする。鵜野は未だに“パケ放題”でも無いのにパケット代は大丈夫なのか、と聞きたくなった。
「私にはそんなに早く返して呉れない癖に」
 これは事実。私が相当焦っている事態―例えば、考査前日にテスト範囲を聞いたりする時―以外はかなり遅い。返事の平均なんて知らないけれど、私の知っている中では一番、遅い。
 鵜野は携帯をパタンと折って、漸く私を見た。
「クマは急かしたり怒ったりしないでしょ」
 柊は煩いのよね、と。そんなに厭そうでも無い口調で鵜野は言う。
「私だって…」
「ん?」
「何でも無い」
 暢気な私とは言え、メールが来ないと不安になる。

 何か気を悪くさせる様な事を言った?
 私の事嫌いになった?

 時間が経って漸く返事が来ると、幾ら素っ気なくても嬉しくなる。如何それに気付いてくれないんだろう。
(…所詮ただの“仲良し”なんだけど)
 二週間前、中山と付き合う事になった、と言われた私は、以前彼氏に振られた時の様なショックを受けた。
 きっと親友を中山に奪(と)られたから。
 鵜野には私ほど深い仲の友達は居ない。だからこそ、私が鵜野の一番だと思っていたのに、それを中山に奪られた気がする、のだ。
「あ、クマ」
「何」
「この場所、柊に教えたから」
 …え?
 耳を疑った。今、何て?
 私と鵜野の居る場所は俗に言う立ち入り禁止区域。学校にある時計塔である。以前、野暮用で鍵を借りた際に鵜野が合い鍵を作っていたのだ。二人の秘密基地の様な場所。
 私は誰にも教えなかったし、教える心算も無かった。
 それなのに。
「ごめんね、柊が煩くて」
「いいよ別に…」
 冷たい言い方になってしまう。自分でも声が震えていると気付いた。
 勿論、鵜野も気付いたらしく、私の頭をくしゃりと撫でた。
 ヤバい。泣きそう。
 どんどん自分が厭味な人間になって、どんどん自分が嫌いになって、どんどん鵜野が嫌いに成って行く。
「恋花さん」
 刹那、中山柊が階段を上がってくるのが分かった。履き潰したローファーの足音が時計塔に響く。
「初めて登りました、時計塔なんて」
 長い階段を登り終えると、息が弾む。中山も少し肩で息をしながら私たちの元へと歩み寄った。
 中山が近寄ってきた所為か、私の涙腺は引き締まった。今泣けと言われてもきっと泣けない。多分それは、プライドだろう。
「凄いですね。こんな所にいつも居るんですか?…二人で」
 中山は立ったまま私を見下ろした。その目には嫉妬心というか、憎悪というか、まぁそういう類の物が見て取れた。
 恋人の親友とは言え、毎日毎日べったりくっ付かれればそりゃ中山も怒るだろう。けれど、私は逆にそれが嬉しく思えた。

 なんて非道なんだろう。

「放課後は基本的に此処で暇潰してるよ。お金掛かんないし、寒くないし、人来ないし」
「そうなんですか」
「そうなの」
「でも、確かにここは凄い居心地いいかも知れませんね」
 二人の戯言を聞きながら、私はひたすら黙り込む。口を開けばきっと、中山を罵倒するか、鵜野を軽蔑するしか出来ないだろうから。
「――ていいですか、」
「い――」
 自分を押さえ込もうとしすぎたからか、二人の声が途切れ途切れにしか聞こえなくなる。
 そして、漸くはっきりと聞こえた言葉は――
「じゃ、帰るね、クマ」
 鵜野が立ち上がり、鞄を背負っている。
 え?何?何で?如何いう事?
「柊と帰るわ。バイ」
 私に手を振り、鵜野は階段を降りていく。止める事も出来ず、彼女の足音が段々遠くなっていった。
 けれど。
 何故か中山はまだ私の前に立っていた。
「……何?」
 中山は立ったまま、私を睨み付けている。敵意以外感じられないその目を私も負けじと睨み返した。
「大隈先輩、」
「何よ」
「恋花さんの事スキでしょう、」
 突然の質問に私は驚きを隠せなかった。数回瞬きをして、言葉をもう一度噛み砕き、反論しようとすると中山は話を続けた。
「今までずっと見てたから分かりますよ。大隈先輩って恋花さんの名前呼ぶ時、どんな顔してるか自分で分かってます?名前呼ばれた時の顔だって嬉しそうに微笑んじゃって、見てて恥ずかしいですし。それに、先輩。恋花さんの隣に居る事が当然だと思ってますよね」
中山の顔が人を小馬鹿にする様な笑みを浮かべる。
「止めて貰えませんか。恋花さんは柊のモノですよ。大隈先輩のじゃない」
「鵜野は何時アンタのモノになるって言ったのよ」
「でも付き合ってます。

先輩みたいに只の友達なんかじゃないんですよ」

 只の友達。
 中山のその言葉がぐさりと私の心を貫いた。反論出来なかった。
 親友だと思っているのは私だけなんだろうか。ただの一人よがりなんだろうか。
 中山が静かに踵を返し、時計塔を降りていく。足音が完全に聞こえなくなった。
 バタン。
 重い扉の閉まる音と同時に私の目から涙がぽろりと落ちた。歯止めの効かないそれは、どんどん溢れて頬を伝って落ちた。
 くそったれ。
 誰に言うわけでもない。ただ思った事は、それだけ。

「♪」

 どれ位涙を流していただろう。不意に携帯が震えた。慌てて、取ると着信は―鵜野。
「…もしもし」
『モシ。さっきはご免』
「中山は、」
『校門でバイバイしたわよ、』
 鵜野が笑うのが聞こえた。中山と鵜野の家は学校を真ん中に置いてほぼ、逆方向だ。一緒に帰ると言っても、所詮校門までなのだ。
『それで、クマに謝ろうと思って電話したのよ』
 鵜野の柔らかい声にまた涙腺が緩み、涙が落ちる。
「…ぅ、う」
 駄目だ。鵜野に悟られるものか、と堪えようとするけれど、上手くいかない。嗚咽が漏れる。
『クマ?如何したの』
「…何でも、ない」
『柊に何かされた?』
 柊。
 なんて鋭い、言葉のナイフ。中山の言った言葉がまた私の心を痛める。
『クマ。言って呉れないと分かんないよ』
「……私、」
 自分の声が予想以上に掠れていて驚いた。きっと、鵜野も気付いている。
「私と鵜野は、親友、だよね…?」
 なんて卑怯な質問だろう、と言ってから気付く。
 これじゃあ、イエスと答えるしか無い。ノーと答えれば、友達で居る事だって出来ないかも知れないからだ。
 何故「私の事如何思ってる?」と訊ねられなかったんだろう。電話の向こうで鵜野が困ってるのは火を見るよりも明らかだった。
「ご免…、やっぱり―」
『何今更な事言ってんの』
「え?」
 鵜野の声に嘘は感じ取れない。
『親友以外に何になれるって言うのよ。精々マブダチでしょうが』
 本当に親友だと思って呉れているんだと実感する。
 気が付けば隣に居た。気が付けば誰よりも大切な存在に成っていた。彼女の一番は、私のモノで有って欲しい。
 私は涙を拭い、立ち上がった。鞄を肩に提げ、時計塔の螺旋階段をどんどん降りていく。
「鵜野」
『何?』
「中山と別れて、」
 時計塔の重い扉に鍵を閉める。そして、もう一度電話の相手に言う。
「お願い。中山柊と別れて、」

 もう二度と此処へは来れないだろう。私の告白が駄目でも、良かったとしても。
 左様なら。
 私と鵜野の秘密基地だった場所。

「鵜野を一番好きなのは私だよ。中山柊になんか渡さない」
 それが例え、親友という関係であっても。
 私は狡い。分かっている。けれど、鵜野を独り占めしたいと言う気持ちだけは中山には負ける心算は無かった。
 私は走る。息が上がるのもお構いなしで、校門へと向かう。鵜野を追いかけようと、走り――
「『バーカ、』」
 鵜野がこちらに歩いてくる。電話越しからの声と直接響く声が同時に聞こえた。私は立ち止まり、歩み寄ってくる鵜野を見つめた。
「『人の話聞いてた?柊とバイバイしたって言ったじゃん』」
「あ、れは…っ」
 そういう意味だったのか。一緒に帰っていて、別れた、それだけだと思っていたのに。
「『柊みたいに独占欲の強いのは私と相性悪いのよね、』」
 目の前に鵜野が立つ。鵜野は携帯を切った。
「それにアンタが心配で恋もろくに出来ないの、私は」
 破顔する。

「私もクマが一番大切なのかもね」
 他の誰から告白されるよりも嬉しくて、恥ずかしい言葉に私は赤面した。自分でも言ったけれど、自分で言うのと言われるのとは全く違う。
 鵜野は私の顔を見てまた笑った。


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初出は学校の文芸誌。